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よこすか開国資料館

Q1.ペリーってどんなひと?

Q2.小栗上野介ってどんなひと?

Q3.開国当時のエピソードは?

Q4.黒船が来る前の「よこすか」は、どんなところ?

Q5.大八車と「よこすか」の関係って、どんなこと?


Q.2 ペリーってどんなひと?
A.1
300年の鎖国を続けてきた日本がふたたび開国し、国際社会に復帰する先駆けとなった日米和親条約を締結させた東インド艦隊司令長官です。
 

ペリリン  マシュー・カルブレイス・ペリー(Matthew Calbraith Perry)。1794年、アメリカ海軍大佐クリストファー・レイモンドとセーラ・ペリーの3男としてロードアイランド州ニューポートで生まれました。アメリカでは、海軍の英雄であるオリバー・ハザード・ペリーの弟としても有名です。
 1809年海軍に入り、1833年にニューヨークの海軍基地司令官に任命され、1837年には海軍の最高地位である大佐に昇進しました。蒸気船を主力とする海軍の強化策を進めると共に、士官教育にも熱心、「蒸気海軍の父」と称えられてもいます。
マシュー・カルブレイス・ペリー提督  アフリカ艦隊司令長官、メキシコ湾艦隊副司令長官、同司令長官を歴任し、1852年東インド艦隊司令長官に就任、ミラード・フィルモア大統領から親書とともに日本開国の指令を与えられました。
 1853年7月8日(嘉永6年6月3日)浦賀沖に来航したミシシッピ号を旗艦とした4隻の艦隊は、久里浜にて江戸幕府に大統領親書を手渡したのち、翌年までの猶予を求められ退去しました。翌1854年2月13日(嘉永7年1月16日)、旗艦サスケハナ号など7隻の軍艦を率いて再来日したペリーは、3月31日(旧暦3月3日)日米和親条約の調印に成功したのです。

Q.3 小栗上野介ってどんなひと?
A.3 1860年(万延元年)34歳の時、井伊大老の抜擢で日米修好通商条約批准のために米国の軍艦ポウハタン号に乗船して渡米しました。帰国後の八年間、横須賀製鉄所建設などさまざまな業績で幕政をささえ、日本の近代化を押し進めました。

オグリン  小栗上野介忠順(おぐり こうづけのすけ ただまさ)。1827年(文政10年)、 譜代小栗家第11代忠高の長男として、神田駿河台で生まれました。幼い頃から文武両道に秀で、物事に動じず、権力にへつらわない性格と自身の意見を誰憚ることなく主張する才人でした。
 29歳で家督を相続、33歳で井伊大老に抜擢され、翌年豊後守に任ぜられ、遣米使節目付(監察)として渡米。ワシントンでの日米通貨・為替交渉を成功させました。
小栗上野介忠順像(東善寺)  約1年後帰国した忠順は、外国奉行を皮切りに勘定奉行、江戸町奉行、歩兵奉行、陸軍奉行を歴任。列強の脅威と国家の危機を痛感し、強い海軍の創設には自力での軍艦建造が必要と考え、近代的造船所の建設を提唱します。そしてフランス公使レオン・ロッシュの知己を得、彼に紹介された若き逸材ヴェルニーとともに横須賀製鉄所の建設を推進しました。
 他にも、横浜フランス語伝習所(フランス語専門学校)の開設や軍制(歩兵・騎兵・砲兵の確立)の改革、日本最初の株式会社や諸色会所(商工会議所の前身)の設立など、数多くの近代化政策の先取りを行いました。

Q.4 開国当時のエピソードは?
A.4
1865年(元治2年)の製鉄所(造船所)建設からはじまった横須賀の発展は、その後明治初期中期に、さまざまな面で新しいものを生み出してきました。
 

ペリリン サスケハナ号 ■ビール瓶が大人気
 異国船の来航は、異文化との遭遇という楽しみがありましたが、1853年初来日のペリーは、大統領親書の受け渡しが終了するまで日本人の艦内への立ち入りを厳しく規制していました。  しかし受渡しが終了すると気の緩みからか、艦上でビールを飲み空き瓶を海に投げ捨てる船員がでてきました。これを見ていた漁師たちは先を争って海に飛び込み、ビンを拾い上げたそうです。当時の日本では、ガラス製品は「ギヤマン」と呼ばれ、とても貴重品だったのです。
 事態を重く見た奉行所は、ビール瓶の回収を申し渡しましたが、大切な宝物を簡単に手放すことはありませんでした。一方、ペリー側では空き瓶の人気を知り、二度目の来航前に空き瓶を仕入れたといいます。

久里浜上陸図(ハイネ画:横須賀市自然・人文博物館所蔵) ■歩き方が変わった
 浦賀沖に来航したペリーが久里浜に上陸したのは1853年7月14日(嘉永6年6月9日)の朝でした。警備の侍たちが、ペリー一行に随行する300人近くの海兵隊を見て驚かされたのは、軽快な音楽隊の演奏にあわせて行進する姿でした。全員の足並みが揃い、しかも膝を上げ、手を振り、右手が前に出ると同時に左足が出、左手を前に出すと同時に右足が出るその歩き方に驚嘆したのです。
 これまでの日本に無かったこの歩き方は早速取り入れられ、この行進は近代的な軍隊の基本となりました。
 のちに明治以降になると、学校教育にも取り入れられ、手足が逆に出る今の歩き方は日本人の常識となったのです。

横須賀製鉄所(造船所) ■横須賀製鉄所(造船所)の建設
 1865年(元治2年)、小栗上野介忠順、フランス人技師ヴェルニーらによって着工した横須賀製鉄所は、日本の近代産業発祥の地とも言われています。
 のちに造船所と名称を変えたこの場所は、明治20年代の半ばまで連日一般に開放し、見学することができました。当時としては巨大なクレーンなどの製鉄加工技術をはじめ、レンガの製造、電灯、電話、上水道、学校、木工そしてドライドックと、さながら科学博覧会場そのものでした。また、さまざまな分野で近代日本をリードした人物を多く輩出しました。

観音崎灯台 ■灯台の設置
 1866年(慶応2年)に江戸幕府よりヴェルニーに依頼された灯台建設事業は、明治政府が発足してからも引き継がれ、1868年(明治元年)日本最初の洋式灯台として竣工、翌年2月11日(旧暦正月)に初点灯しました。この灯台の起工日の11月1日(1868年11月1日)がのちに「灯台記念日」となりました。以降観音埼灯台は、1923年(大正12年)竣工の2代目(関東大震災で崩落)、大正14年竣工の3代目で今に至っています。
 初代灯台の建築に使用されたレンガは、フランス人技師により横須賀製鉄所で造られたもので、 その1つ1つに「ヨコスカ製鉄(鋳)所」の印が押されています。
 

横須賀鎮守府 ■横須賀鎮守府の設置
 1884年(明治17年)、横浜にあった海軍の東海鎮守府が横須賀に移り横須賀鎮守府と改称され、横須賀が発展してゆく大きな契機となります。 初代長官として中牟田倉之助(なかむた くらのすけ)海軍中将が着任しました。 また、「鎮守府条例」「海軍造船所条例」により、横須賀造船所は鎮守府に属することが定められました。
 明治23年に建設された鎮守府庁舎は1923年(大正12年)の関東大震災で倒壊、その後大正15年に再建された2代目鎮守府庁舎は現在、米海軍横須賀基地内の在日米海軍司令部として使われています。

横須賀駅 ■横須賀線の開通
 1880年(明治13年)に陸軍が観音崎砲台の建設を開始し、明治17年には海軍が横須賀に鎮守府を置くなど、横須賀は軍事上の重要性を増します。このような背景から、1886年(明治19年)、陸軍大臣大山巌と海軍大臣西郷従道が内閣総理大臣伊藤博文に対して、横須賀への鉄道敷設を求め、1889年(明治22年)に大船−横須賀間で開通しました。
 横須賀線は短い区間に8ヶ所もトンネルがある難工事であったにもかかわらず、驚異的早さで工事が行われたのです。
 また横須賀駅は開業当時の面影を残し、階段の無い駅としても有名です。

Q.5 黒船が来る前の「よこすか」は、どんなところ?
A.5
開国以前も、横須賀・浦賀は海運の要所として、しばしば歴史の表舞台に登場していました。
 

オグリン  平安時代後期、源頼義に三浦半島を下領された村岡為通はその後三浦氏を名乗り、衣笠に城を築きこの地を治めました。
 室町時代になると北条早雲によって三浦氏が滅ぼされ、北条氏の領地となりましたが、1590年(天正18年)の小田原北条氏滅亡と同時に徳川家の直轄領となりました。またそのころ、来日以来家康からの信任の厚いオランダ人航海士ウィリアム・アダムズ(三浦安針)が逸見村に領地を与えられました。
昔の横須賀  江戸時代にはまた、浦賀に燈明堂(現代でいう灯台)が設置され、海運の要所として、1720年(享保5年)には浦賀奉行所も設置されました。江戸期後半には浦賀沖にしばしば外国船が姿を見せるようになり、浦賀奉行所に「海防」という大きな役割も加わったのです。

Q.6 大八車と「よこすか」の関係って、どんなこと?
A.6
横須賀製鉄所で製造されたレンガは、洋式灯台やさまざまな建造物の土台として重用されました。そのレンガを陸上輸送するのに、大八車が活躍したのです。

ペリリン  馬車や鉄道が普及する前の開国景気の横須賀では、レンガをはじめ多くの物資が大八車で輸送されたといいます。
開国大八レース  2002年〜2005年のよこすか開国祭(プレよこすか開国祭を含む)では、レンガを運ぶ大八車にちなんで「開国大八レース」も開催しました(2004年は雨天のため中止)。毎回多くの力自慢のチームが参加、400kgのレンガを満載した大八車を引いて、大迫力のタイム競争を行ったのです。


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